トッド・フィリップス監督。ホアキン・フェニックス主演、ロバート・デ・ニーロ、ザジー・ビーツ、フランセス・コンロイ。カデミー主演男優賞、作曲賞受賞。2019年。
<ストーリー>
時は1981年。財政難によって荒んだゴッサムシティで暮らすアーサー・フレックは、母親ペニーの「どんな時でも笑顔で」という言葉を胸に、アルバイトの大道芸人(ピエロ)の仕事に勤しんでいた。発作的に笑い出してしまう病気によって精神安定剤を手放せないうえ、定期的にカウンセリングを受けねばならない自身の現状に苦しみつつ、年老いた母を養いながら2人で生活していた。アーサーの夢は、一流のコメディアンになって人々を笑わせること。日々思いついたネタをノートへ書き記し、尊敬する大物芸人のマレー・フランクリンが司会を務めるトークショーで脚光を浴びる自分の姿を夢想していた。しかし仕事ではトラブル続きで、心からアーサーを受け入れてくれる者は外の世界にいなかった。生活も酷く困窮しており、ペニーはかつて自分を雇っていた街の名士トーマス・ウェインへ救済を求める手紙を何度も送っていた。
ある日のこと、アーサーは同僚のランドルから護身用にと拳銃を借り受けたが、これを小児病棟の慰問中に落としてしまい仕事をクビになる。ランドルにも裏切られ、絶望の気持ちで地下鉄に乗っていると、酔っ払った男3人が女性をナンパしている場面に出くわす。そこで笑いの発作が起きてしまい、気に障った3人に絡まれて暴行されるも、反射的に全員を拳銃で射殺した。罪悪や恐怖だけでなく、言い知れぬ高揚感がアーサーを満たしていった。この地下鉄殺人は貧困層から富裕層への復讐と報道され、ゴッサム市民から支持を集める。さらに殺された男たちの勤めていたウェイン産業のトップであるトーマスが、色めき立つ市民を「ピエロ」と嘲ったのを機に事態は加熱。貧困層と富裕層との軋轢が益々悪化、ピエロの仮面を被った市民による抗議デモが頻発した。
これまで誰からも認知されずにいたアーサーは気分を上げ、同じアパートに住むシングルマザーのソフィーと仲を深める。意を決して出演したクラブでの初ステージは、笑いの発作に侵されながらもどうにか最後まで演じ切った。そんな中、アーサーはペニーの手紙を盗み見、自身がペニーとトーマスの隠し子であるという内容を目にする。真実を確かめるべくウェイン邸を尋ねると、庭で遊んでいたトーマスの息子・ブルースと出会い、敷地の柵越しに手品を披露する。そこへ駆けつけた執事のアルフレッドに追い返されそうになり、すかさず隠し子の件を焚きつけるもペニーの虚言と突っぱねられ、アルフレッドは彼女を「イカレ女」と呼ぶ。逆上したアーサーは掴みかかるが、結局何も分からないまま帰宅。するとアパート前はパトカーや救急車で騒然としていた。実はすでに刑事たちはアーサーに目星をつけて調査に乗り出しており、詰問にあったペニーは脳卒中で倒れてしまったのだ。
ソフィーに励まされながら、病院のベッドで眠る母に付き添うアーサー。病室のテレビでは偶然にもマレーのトークショーが放送されており、何とそこに先のステージでネタを披露するアーサーの姿が映し出された。驚きつつも幸福感を抱くアーサーだったが、マレーはアーサーのネタ披露を面白おかしく揶揄し、「つまらないコメディアン」として笑いものにしていたのであった。
後日、トーマスが演劇を鑑賞する劇場の前では、やはりピエロたちによる抗議デモが起こっていた。アーサーは直接真相を聞くべく、警備員に扮して劇場内へ侵入し、トーマスが一人になった時を見計らって問い詰めた。しかし隠し子の件は再び一蹴され、それどころか、ペニーは妄想癖があり、彼女による騒ぎを大きくしないようトーマスが手引きし、養子にさせた孤児がアーサーであることや、恋人だった男にアーサーが虐待されているのを静観していた罪で逮捕された経歴もペニーにはあると告げられる。どうしてそこまで母を悪く言うのかと、話を信じられないアーサーは期待にすがるように、「父さん」と呼んでトーマスに詰め寄るがパンチを食らわされ、息子のブルースに近付けば殺すと吐き捨てられる。
真相を確かめるべくアーカム州立病院を訪れたアーサーは、事務員からペニーの過去のカルテを強奪し中を見る。そこにはトーマスの言っていた事が事実である証拠が残されていた。また、アーサーが発作を患った原因も、「虐待されても笑っているから」とペニーが恋人の虐待を止めなかったためであることが発覚。全てに絶望したアーサーは大声で笑い、泣き崩れた。そして病床のペニーに、「僕の人生は悲劇ではなく喜劇だったのだ」と語りかけ、彼女を窒息死させたのであった。失意の中、重い足取りでアパートへ戻ったアーサーは、ソフィーに慰めてもらおうと彼女の部屋へ入るが、そこに来たソフィーはアーサーを初めて見たように怯え出ていくよう懇願する。これまで2人で過ごした日々や、ペニーが入院した時に励ましてくれたソフィーは、全てアーサーの妄想が作り出したものだったのである。
そして一人で家にいるアーサーに、マレーのトークショーのスタッフから電話がかかってきた。アーサーの映像を流した回が反響を呼び、生出演を求められたのだった。それもまた、自分を笑い者にするためだと察知しつつも、生放送の途中で拳銃自殺する計画を思いついて承諾。当日の流れを想定して入念に練習する。
放送当日。アーサーは自宅にて髪を緑色に染め上げ、馴染み深いピエロのメイクを施して準備を進めていた。そこへ母親の死を悼んだランドルが訪問する。しかし彼は以前アーサーを出し抜いたことなど気にもしない様子で、実は警察への証言の口裏合わせを求めて来訪したに過ぎなかった。アーサーは隠し持っていたハサミでランドルを殺害した。そしてピエロのメイクを完成させて街へ乗り出し、意気揚々と階段の踊り場で舞い踊っていたところ、張り込んでいた刑事たちに追いかけられる。地下鉄へ逃げ込むと、これからデモに向かうピエロですし詰め状態だった。刑事たちは誰が誰かも分からない電車内で無実の市民を誤射してしまい、ピエロたちの暴行を受ける。まんまと追跡を撒いたアーサーは番組スタジオへ到着。ようやく対面したマレーに対し、このメイクは昨今の情勢とは全くの無関係であることを告げ、「自分を本名ではなくジョーカーと紹介してほしい」と依頼し了承される。
そして生放送が始まった。アーサーは何度も繰り返したシミュレーション通りに事を進めようとするも、言うべきジョークを忘れる。マレーたちから冷やかされつつノートを取り出し、自分の書いた言葉を見て考えを変化させる。地下鉄での殺人を犯したのは自分だと大胆に告白すると、続いてゴッサムの格差社会を非難し始め、積もり積もった怒りをぶちまける。自分のような社会不適合者は、そうでない者から奴隷のように蔑まされる存在でしかなく、善悪や笑いの基準も社会的に力のある人間が主観で決めており、トーマスも含め世の中は不愉快な連中ばかりだとまくし立てる。それを否定し殺人を犯したアーサーを非難するマレーだが、アーサーはマレーもまた不愉快な連中と同じ立場の人間であり、自分を番組に出演させたのは前回のように笑いものにするためだと断罪。それを一蹴し再び非難するマレーに対し、怒りに震えるアーサーは拳銃を取り出し彼を射殺した。パニック状態になって逃げ出す観客らをよそに、テレビカメラの前でステップを踏むアーサー。カメラに向かってマレーの決め台詞「That’s life!(それが人生!)」を真似しようとするが放送は中断され、駆け付けた警察に取り押さえられた。
アーサーの凶行は図らずして、貧困層が憎悪を爆発させる要因となってしまった。一瞬にしてゴッサムシティはピエロに扮した市民の暴動によって混沌と化した。富裕層の人々が悪辣な暴行を受け、街のあちこちで火の手があがった。トーマスは家族で舞台を鑑賞していたが、騒動を避けるべく路地へと逃げ込む。しかしそれを見ていた暴徒の一人によって妻もろとも射殺され、息子のブルースだけが生き残った。パトカーで護送されていたアーサーは暴徒が駆る車の衝突によって救出される。パトカーのボンネットへ立ち上がり、自らの血でグラスゴースマイルのようなメイクをして、自身を救世主として讃え歓喜の声をあげる暴徒を見下ろしながら、恍惚した表情で踊るのだった。
場面は変わり、どこかの病院で精神分析を受けるアーサーの姿が映される。ジョークを思いついたと言う彼に対し、カウンセラーはそれを話すよう頼む。しかしアーサーは、「君には理解できないさ」と断り、フランク・シナトラのThat’s Lifeを口ずさむ。そして血の付いた足跡を残し、病院の職員に追われながら脱走を図ろうとし、物語は幕を閉じた。(Wikipediaより転載)
<感想>
話題だった作品。ようやく観ました。イメージにあるジョーカーとは思えないアーサーの姿。元の彼は善良で、銃を恐れ、老いた母の介護をする優しく、辛抱強い青年でした。しかしギリギリで保っていた糸がプツリと切れます。それは必至のことだったと思います。裕福層だからと言って、暴力が許されるはずがない。映画の中の暴動は、アメリカで起きている暴動と同じに見え、空恐ろしくなりました。アーサーは母の真実を知り絶望します。仲良くなったように見えたシンママも、彼の妄想でした。でも母親をおかしくしたのは、実はトーマスかも?彼が全てを偽造したのかも?そんな予想を残しているのが、この映画の面白いところでした。どこまでが彼の妄想だったのか?嘘ばかりつくジョーカーに私達も騙されているのかも知れません。辛いお話でした。